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もしも私が、
自分の自我という最も高い山に
登っていくのなら、
もしも、私が、
大地も、大気も、目も、耳も、
足も、手も、生活も、
何もかもかなぐり捨てて、
自分の魂の最も高い頂きに
留まろうとするのなら、
その時、私は神に近づいていることになるのだろうか。
天に触れるためには、
どんな木によじ登ればよいのだろうか、
神にお目にかかろうとして登っても、
人間は失敗に終わる。
神は下ってこられる。
正しい人のところより、罪ある人のところへと
神は低く低く下ってこられるのだ。
イェルク・ツィンク : 著 :(宍戸 達 : 訳) : 「いばらに薔薇が咲き満ちる」 : 新教出版社
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