Q11
キリストの死はどうして人間の罪のゆるしとなるのですか
救い主の条件を考えるとこういうことになります。
1) 罪のないもの
2) まことの人間
3) 私に代わって罪の刑罰を受ける
「罪のないもの」とは、人間の中には見当たりません。罪のないものは、神様以外にはおられません。その神のみ子が私たちの下にきてくださったのがクリスマスです。それは今から約2000年前のことでした。西暦はイエス・キリストの誕生を基準としています。
イエス様は、神のみ子でありながら、おとめマリヤから、まことの人としてお生まれになり、旧約聖書の約束の言葉をことごとく成就(実現)して、救い主としての生涯を過ごされたのです。
イエス・キリストの生涯は、ベツレヘムの馬小屋での出生からゴルゴダの十字架にいたるまで、父なる神に従い、神と人とに仕える者としての生涯でした。そしてイエス様は特に30歳前後の公生涯といわれる晩年の生活の中で、救い主としてのお働きをなさるのですが、それは人々を愛し、神の救いの福音を語りながら、十字架に向けての歩みに他なりませんでした。
聖書の中でイエス様はよく、「あなたの罪は赦された」という言葉を述べておられますが、これはご自分の十字架の死を根拠として言われている言葉です。
神のさばきの座の前に出るときにも、イエス・キリストを信じる者にとっては、この方が私の弁護士となって傍らにいてくださいます。そしてこのように言われるのです。「大丈夫だよ、あなたが受けるべき罪の代価は全部私が引き受けた。あなたが受けるべき刑罰ものろいもすべて私が十字架において受けたから。もうあなたは裁かれない。あなたを罪に定めるものはいない。安心していきなさい。」
聖書全体が神による救いを述べていますが、関連個所を一部だけ引用してみます。
「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、
へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(フィリピ2:6?8)
「彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。 彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」(イザヤ53:5)
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書3:16)
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